オーストラリアなどの諸外国に比べ、日本のライフセービング界は残念ながらまだ遅れています。消防士のように公務員として確立しているオーストラリアに比べ、日本はほとんどがボランティアに頼っており、実際の現場では経験が少ない大学生が中心となって活動しているのが現状です。
飯沼誠司は自らのライフワークとして、次代を担う若手の育成、ライフセーバーの地位向上、海岸の環境保護等、多岐に渡る活動を行っています。また、今日多発する水難事故を憂慮し、本場のライフセービングを体験してきた先駆者として、海や水の事故をいかにしたら防ぐことが出来るか、その啓蒙活動にも積極的に取り組んでいます。
出会い、挑み、全てを注ぐライフセービング。
飯沼誠司にとって、それは一生のテーマなのです。
出会いと挑戦
飯沼誠司は3才から水泳をはじめ、小学校では競泳・平泳ぎでジュニアオリンピックに出場し、 高校では背泳でインターハイに出場しましたが、「水泳選手としては並の成績だった」と本人は語ります。
しかし、東海大学体育学部に入学してライフセービングに出会い、 今までやって来た競泳の力も生かせる事、そして何よりそのカッコ良さに憧れてライフセービング部へ入部。
競技会でメキメキと存在をアピールし、前人未踏の全日本選手権アイアンマンレース5連覇他、幾多の好成績を残しました。卒業後は海外からの誘いを受け、ライフセービングの本場・オーストラリアでプロシリーズ契約を結びました。
しかし、世界のトップライフセーバーの実力を目の当たりにして、 そのレベルの違いを痛感した彼は、「このままでは彼らとの差は埋まらない」と一念発起。
就職した大企業を半年で退社すると、誰のアテンドもなく単独で海外へ渡り、 当時はまだ話せなかった英語で自らコミュニケーションを取りながら世界各地を転戦し、プロ活動に専念しました。
今も救命活動の現場で
競技者として華麗な実績を持つ飯沼誠司。同時に彼は、これまでも、そして今も、ライフセーバーとして水難救助・救命活動を行っています。
2006年には有志と共に「館山サーフクラブ」を設立。チームを率い、館山市と連携して館山地区の海岸の安全を守っています。自らも危険を伴い、一瞬の判断の誤りが生死を分けるライフセービング。
飯沼誠司は、救命の最前線に立ち続けます。